2021年3月31日水曜日

実績

 2月頭から3月末までという予定で始まった今の仕事。リスケがあって4月末までに伸びたものの開発としてはそこで一段落するので、5月の僕の予定は未定となっていた。
それが今日聞いた話では開発後の不具合対応要員として5月も作業継続する事に決まったらしい。
そしてその後も案件次第ではあるが、今やっている仕事と同じ技術を用いた開発をしてもらいたいようではある。

所属部署の仕事ではなくヘルプとして入って、それでいて元々の所属である人達が他所へ出て仕事するという事を考えればそれだけ自分の仕事での実績が評価されているのかなと思う。
まあ、自分でもよくやっているという自負はあるのでそれが評価された事は素直に嬉しい。

過去、評価されて長期にわたる常駐作業となったように実績を上げればそれだけ仕事のチャンスは増える。今後も頑張っていこう。

2021年3月30日火曜日

打鍵

久し振りに日記をパソコンで書いている。
普段は通勤時間にスマートフォンで書くのをここ最近は更新停止していたのでその分のエントリーをまとめて書こうとパソコンに向かっている訳だけれど、やはり打鍵の速度に雲泥の差があるなーというのを感じながらこのエントリーを書き起こしている所である。

そりゃフリック入力とトグル入力を駆使してもせいぜい二本程度の指しか使用できないのに対して、パソコンでは十本の指をフルで使用できるのだから速度に差が出るのは当然と言えば当然なんだけれど、もう長い事ずっとスマートフォンで日記を書くのに慣れていたので新鮮である。
ちまちま日に数本書いて後日更新をするよりはこうやって少しパソコンの前に向かって集中的に書いた方が効率が良い。未更新の日が溜まった時にはパソコンも活用していこう。

2021年3月29日月曜日

駅間

たまに駅間が長い所を通ると中々着かないと感じるけれど、そう言えば地元の路線の駅間も長かったな。
湯本~泉の区間は結構掛かかるので、18きっぷで帰省する時の長い一区間として印象に残っている。
後は高崎線の深谷~籠原の区間も長かったと思う。初めて乗った時は驚いたものだ。

旅行先だとどこだろう、結構うとうとしている時も多いので記憶が定かでは無いけれど静岡西部の東海道線とか長かったような。
ただ、種別によっていくつかの駅を飛ばしているかもしれないのでその印象かもしれない。
小竹町に住み始めた頃は逆に駅間の短さに驚いて稀に隣駅の千川から歩いて帰ったりもしたな。

2021年3月28日日曜日

付加価値

小さい頃、誰かに言われた「ゲームが出来ても何にもならない。」という言葉に反発するように、ゲームでも漫画でも一見すれば何にもならなくても何らかの形で自分を形成する要素になっているので無駄では無いというのが信条だ。

それは今も信じているし間違いでは無いとも思っている。
事実、DDRのお陰で沢山の友人と出会えたし艦これがあったからこそ結婚できたと言っても良い。
ただ、ゲームそのものの性質や遊び方によってはリターンが少ない事もある。
DDRはゲームセンターで遊ぶという特性上人との交流も自然と生まれたし、艦これはDDRの友達からの延長線の結果であってこれがもし一人でひたすら艦これをやっていたらその方面に詳しくなれたくらいで終わったかなと思う。

楽しさが一番であるため娯楽をすればそれは得られる。昔はそれだけでも良かったのが、今は娯楽であっても何らかの付加価値が合った方が良いなと感じてしまう。
現在やっているウマ娘のアプリも楽しいけれどそういう点で得られるものは多くない。
自分が娯楽に求める物が楽しさだけでなくなってしまった今、どれだけ続けるだろうか。

2021年3月27日土曜日

一年前

 天気が良かったので大きな公園まで遊びに行った。桜は大分散っていたけれど、風が吹くとまだハラハラと落ちるのが目に見えてそれはそれで綺麗である。

ちょうど一年前くらいにここへ来てやはり同じ様に桜が舞い散るのを見たのを思い出す。
去年は主にベビーカーに座っているか殆ど抱っこで桜を眺めているくらいだった子供だけれど、今年は子供も舞い散る桜を見ては「どこから来ているの?」とか、降り積もった桜を上空へ投げて桜吹雪を起こして遊んだりしていた。

来年はどんな風になっているのだろうか。
季節と共に記憶に残っている子供の姿、いつまでも覚えておきたい。

2021年3月26日金曜日

Git

今回の案件でソース管理にGitを使用する事となった。
これまでソース管理ツールはVSS、CVS、SVN、TFSと使用経験があったのでGitもすんなり使えるかなと思っていたのだけれど、先述のツールとは結構使い勝手が違って慣れるまで少々手間取った。(Gitを更にSourceTreeというGUIソフトウェアで操作しているのでどちらかと言えばそちらの使い勝手かもしれない。)
まあ、慣れてしまえば特に違和感無く使えるし便利と感じる部分もあるのでこれを機にしっかり身に着けたいものだ。

先に書いているようにソース管理ツールも色々使ったけれど現時点で一番良いと感じたのはTFS(特にシェルブ機能が便利だった)で、それと比較すると初期の開発で使用したVSS辺りは物足りなく感じる部分も多い。そう感じられるくらい色々と触ってきたという証だね。

近い内容で今回の案件ではOracleでもSQLServerでもなくPostgreSQLを使用しているので、これまた新しい経験である。
色々触れたからこそ違いが判り、一長一短が見えてくる。様々な技術に触れるのは楽しい事だ。

2021年3月25日木曜日

日記

初めて日記を書いたのは小学校高学年の時だった。
宿題では無いけれど先生から指示で書き始めた日記は書く事自体と先生からの返信が楽しくて長続きしたのを覚えている。
それを同級生に「暇なんだね」と揶揄されて傷付いた事もあったけど、やはり日記を書く事自体が好きだったのでフリースクール、専門学校、大学と連続では無くても書き続けていた。

mixiでは日記自体がコンテンツとなり、その内ブログを始めて移転や休止などをしながら今へ至る。
あまり昔の日記を振り返ると当時の文章に恥ずかしくて悶絶しそうだけれど、それでもその時の事を思い出す貴重な手段の一つとなってくれる。僕にとって日記は大切な趣味の一つと言えるだろう。

2021年3月24日水曜日

西日本

ふと思い出を振り返る時、一人で行った西日本の旅行を振り返る事が多い。
東日本でも沢山旅行はしているし、奥入瀬や別所温泉など楽しかったと思っている場所も多い。それなのに振り返るのはなぜ西日本ばかりなのか。

多分、縁遠い地域というのが大きいのかなと思う。
東日本、特に東北は父親に家族旅行で連れて行ってもらったりあるいは住んだりしていて近いというイメージがあり、それに対して西日本はそれまで数えるほどしかいった事が無かったし北近畿や山陰といった地域はまさに初めて足を踏み入れる土地であった。
だから僕自身で訪れた場所として強く印象に残っているのではないだろうか。

何度か書いているけれど、知らない土地が行き先になっているのを見た時ほどワクワクする事はない。
播州赤穂行き、熊野市行き、この先に何があるのか。どんな場所なのか。あの高揚感を今も覚えている。

2021年3月23日火曜日

社内SNS

自社に戻ってからは社内SNSサイトで仕事の進捗の報告もしている。
初めはちゃんと機能するのかが疑問だったけれど意外と皆しっかりと更新していて情報量もそれなりに多い。
本来そうあるべきなのかはさておき、他者の進捗報告が見られるので以前一緒に仕事していた人の現況とか、どこでどんな仕事があるのかを知る事ができる。
これまでは現場に常駐していると現場で一緒になっている社員以外の情報は分からず、会社への帰属意識も薄れる要因であっただけにこれは良い事だなと思う。

多くの報告を受けてそれらを確認し返信しなければならない上長達は大変だと思うけれど、同じ会社に所属する繋がりを感じられるものとしてこのまま機能し続けていきますように。

2021年3月22日月曜日

気が付けば

まともにDDRをしなくなってから一年あまり経っていた。(一応、期限切れ防止のため秋ぐらいに1クレだけ踏んだりはした。)
緊急事態宣言まではほぼ毎週末踏みに行っていたし、とらのバな外伝というスコアアタック企画もやっていたりと結構な高頻度でやっていたのにこの変わり様である。
当初マスクを着けてもDDRは続けるだろうと思っていたのだけど、やはり何となく後ろめたさがあるのと子供の遊びで体力的にいっぱいいっぱいなのが大きいだろうか。

妻の妊娠期間の途中から子供が産まれての再開期間までの様に、やらない時はやらないでピタっと止めている。
他の物事へと容易にシフトできる性格なのかな。良い点でもあり、執着が無いと言われそうな部分ではある。

前に踏んだ1クレもとても楽しい時間ではあったし、いつかは再開したいなと思っている。
いつかがいつかで終わらないと良いな。

2021年3月21日日曜日

影響

それなりに距離がある場所のショッピングモールへ久し振りに訪れた。
目的は妻が見付けてくれたプラレールの巨大セットの展示で、子供は食い入るように見つめていたし家にあるプラレールのセットとは全然規模が違っていて僕達も見ていて楽しかった。

元々、プラレールは今年の僕の誕生日プレゼントとして妻に買ってもらった物だけれど子供も遊んでくれる事を期待して買った。
その狙い通り、いやそれ以上に子供はよくプラレールで遊んでくれて、その内聞かせてみたプラレールの歌はお気に入りの曲となって熱唱する程になり、大好きな黄色の新幹線であるドクターイエローには敏感に反応するようになった。
プラレールを見せる前はここまで電車には反応しなかったので、影響なのだなと感じる。

女の子だからとか気にせず、好きなものは好きで良い。
様々なものに興味を持って自分が好きなものを見つけていって欲しい。

2021年3月20日土曜日

インターン

仕事とはちょっと異なるけど、インターンについても書いておきたい。
大学3年生の夏、インターンに参加して郡山で1~2週間程度の就業体験に参加した。

IT企業だったけれど、メインで参加したのは学校のパソコン入れ替え作業で夏場に何十台ものパソコンを持ち歩くという力作業はある意味で印象深い。
一人の社員さんが凄く無口でストイックにひたすら作業を続けていたのとか、ある現場の昼ご飯に有名ラーメン店へ連れて行ってもらったりとか、結構記憶に残っているので良い体験だったなーと思う。
この夏は単位取得に追われ、インターンもありで非常に忙しかったけれど学生生活を満喫するという点においては満点ではないだろうか。思い出深い夏である。

2021年3月19日金曜日

コロナ下の仕事

長かった以前の職場から離れて、少しばかりヘルプ作業をした後に配属された職場はこれまでの直接指揮を受けていた職場と異なり、更に上位の人達と多く話す機会がある職場であった。
初めはこれまでの職場との違いに戸惑いもあったけれど、段々と上位の人達と話して頼られる機会が増えてくるとそこにやりがいも感じられた。

残念ながら1年程度で撤収とはなってしまったけれど、汎用的な技術を用いての仕事だったしエンドユーザの声が直に聞こえるのも良い職場であったなとは思う。
高い技術を持ってる人も多く居たし、ゆっくり話してみたいと思う人も居たのだけれどコロナの影響により積極的な交流をする機会が無かったのは誠に残念である。

2021年3月18日木曜日

常駐

2015年の早い時期から新しい職場への配属が決まった。
自社にそこでの仕事を持ち帰るというのが最終目標で、結局それは達成できなかったけれどここに常駐しての仕事はなんと5年近くに及びこれまで自社での仕事が中心であった僕の経歴を大きく塗り替える事になった。

ここでの仕事はC#にOracleという汎用的な技術を使用していて、フレームワークを使用した三層アプリケーションという多くのシステム開発で用いられている構成での開発だったので技術的にも多くの事を得られたし、何より他社に居る事を感じずに仕事できる風土がとても良かった。
コミュニケーションツールで遠方の協力会社や社内のメンバーとやりとりしながら開発するのも新鮮だったし、技術的に優れた人達や親しみや能力を感じる上長も多く居て沢山の感銘を受けた。

期間が長かったのも勿論あるけれど、ここで仕事した事によりエンジニアとしての能力と自信を身に着けられたのは間違いないし、非常に感謝している。
いつかまたあの人達と仕事をしたい。そう思える、僕にとっての大切な職場である。

2021年3月17日水曜日

繁忙

2014年の仕事はよく覚えている。6月から11月までの半年近く、平日は21時過ぎの退社で土日はどちらかが出勤という忙しい状況が続いていたからだ。
これまでの現場でもそのような忙しい状況というのはあったけれど、この時のようにしばらくの期間続くという事は無く一時的なものだっただけによく覚えているのだろう。

テスト要員だったのでこの仕事で新しく得たスキルというのは特に無いけれど、チームとしての連携やコミュニケーション力、何より根性は鍛えられたと思う。
経験しないのが一番ではあるけれど、ここでこういう経験をした事は今後の仕事で活きているので決してマイナス面ばかりの仕事では無かった。

2021年3月16日火曜日

缶詰

他の仕事をしている時、当時の上長に「この技術を使えるのは誰だ?」と聞かれたのであまり深くは考えず素直に「自分ですかね」と答えたところ、ある現場のヘルプへと駆り出される事になった。
それは都心から離れた地方の仕事で、ヘルプ期間は近くの宿泊施設に泊まり込みで作業するというそれまでには無い環境での仕事であった。

ヘルプといっても該当する技術が多少使える程度の自分ができる事はあまり無く、多少作業をした程度で実際どの程度役に立ったかは疑問であるけれど、あそこの経験は強烈なインパクトとして記憶に残っている。

2021年3月15日月曜日

無力感

大体の現場は入ってそれなりに活躍できるし評価もされるので自分なりに仕事に対してはある程度できる方というの自信があるのだけれど、過去一度だけついていけないと無力感を覚えた職場がある。

そこでの作業はデータベースに関する作業だったのでこれまでやってきた開発の作業とは分野が違ったのもあるのだろうけど、それにしても仕事内容の理解が追い付かなかった。
直接的に能力が低いと評価されたりはしなかったけれど、あの場所に居る他のメンバーのように自分は仕事できていないなというのを常に感じてしまい、劣等感もあったしそれでいて作業量も多い仕事をこなすのが辛かった。
あまり長く常駐した訳では無かったけれど期間以上に長く居たように感じるのは、そのせいなのかもしれない。

もし、今同じ場所で働いたとすればあの頃よりも自信を持って仕事できる様になっているだろうか、そうでありたいものである。

2021年3月14日日曜日

週休四日

様々な事情により、仕事が週休四日になった時期がある。
ほんの数ヶ月であるし、当然給与面でも下がったので手放しで喜べる事ばかりでは無かったけれど、その期間を理由して様々な場所へ旅行に出掛けたりしたし、余裕のある生活はまるで単位を取得した後の学生時代のようで仕事に追われる日々を少しだけ忘れる事ができて個人的には凄くリフレッシュできた。

今は様々な物を抱えているのでそんな事になったら困るし、このご時世なのでそう旅行する訳にもいかないのでマイナスでしか無いからあれはあの時期だからこそのメリットであったのだなーと感じる。

2021年3月13日土曜日

高難易度

現場を転々としてメインの仕事であるパッケージソフトカスタマイズ開発に戻ってきた時、思わぬ高難易度の仕事が舞い込んだ。
設計は上長で実装も上長予定だったのが、どんな経緯だったかは忘れてしまったけれど実装は自分が行う事となり、かなり難儀した事を覚えている。

しかしこの実装は金銭の時間的価値を理解する必要のある実装で、この経験を通して非常に多くの事を学べたしエンドユーザーと直接関わって強いお叱りの言葉をいただいたりして仕事の厳しさというのが身にしみた。
ただ大変な思い出ばかりではなく、この開発中に初めての出張を経験し予算内で様々なホテルを選んでみたり週末は帰宅せずに現地や更にそこから足を延ばしての観光を楽しんだりと仕事もプライベートも非常に充実していたのでこの仕事は僕の中ではこれまでの中で一番良かった仕事として思い出に残っている。

今はもう独り身では無いので出張は避けたいけれど、そういう縛りが無ければあんなやりがいのある仕事をまたしてみたいなーと思う。

2021年3月12日金曜日

反応

少し前からQuickpayの反応が悪くなった。
これまでは普通に使えていたのが悪くなったので内部的な問題だろうか。
原因はさておき、決済をQuickpayに指定して反応せず結局現金やクレジットカードで決済するというパターンが増えてきて二度手間である。
しばらくQuickpayの利用は控えて初めから他の決済手段をとるべきか。

これがモバイルSuicaのような定期を兼ねるようなものだと深刻な問題だったけれど、先述の様に代替の利くQuickpayなのでまだ良かった。
劣化は困るというのを技術者として痛感する出来事である。

2021年3月11日木曜日

10年

東日本大震災から10年が経った。
10年とは長い期間であり、その間に日本全国旅行したり結婚したり両祖父が亡くなったり子供が生まれたりと様々な出来事があった。

それだけ沢山の事がありながらもあの日の出来事は今も鮮明に覚えている。
机に置いた少し贅沢なコーヒー飲料、机の下に避難した事、軽い気持ちで何とかなるだろうと定時で仕事を切り上げてからの迷走、夜を過ごした川崎駅の地下道、ようやく入れた漫画喫茶で夜を空かしてから帰宅しての安全装置で止まったガス、次々と入ってくる信じられないようなニュース映像。

あの日の事を忘れる事はもうないんだろうなと思う。記憶じゃなくて、もはや頭に刻み込まれている。
これから先、生きていく間に同じ様な刻み込まれる出来事というのはまだまだあるだろう。
それが東日本大震災の様な怖い辛いものでなく、結婚式の日や子供が生まれた時の様な楽しい嬉しい事であると良いのだけれど。

2021年3月10日水曜日

和光市

先日の小竹町~江古田散歩に続き、今週も午前休みにして今度は小竹町の次に住んでいた和光市の駅前近辺を散歩。風は強かったけれど気温は高くて特に寒いと感じる事も無くて良かった。

こちらでもやはり目に留まるのは子供に関連したもので公園とか、散歩している保育園の子供達にはよく目が向いた。
営業時間の関係で予定していたカフェでのお茶はできなかったけれど、焼き菓子を買って公園で子供達を眺めながら食べて全く同じ事をした数年前と変わらないようで色々変わったのだなーとしみじみ感じた。

その後は住んでいたマンションの前を通ったりよく使っていた八百屋を眺めたりして、新しく出来た駅ビルにてご飯。
あまり選ばないイタリアンだったけれど、二人で食べる用のコースメニューはボリュームたっぷりでゆっくりのんびり食べるのにちょうど良かったし味も期待以上であった。

妻の休みもとりあえずこの後は予定が無いけれど、できる時にはまたこんな風に二人で散歩やご飯もしたいな。
しかし小竹町、和光市と前住んでいた所は行ってしまったので次行くとすれば何処が良いだろうか?

2021年3月9日火曜日

現場作業

自社でのパッケージソフトカスタマイズ開発がある程度続いてから、新しい現場への配属が決まった。
ヘルプ作業とは違い一定期間での開発という事であり、上長からも新しい事をやるという話を聞いてある程度のモチベーションを持って現場へと向かった。

ここでの作業はさほど大変という事もなかったし、仕事に携わるメンバーも一新したので新鮮な経験であった事を覚えている。
開発自体はツール作業であり、汎用性の低い内容であったために他の仕事で活きるという事は無かったけれど、ここで仕事を経験した故にこれ関連の仕事には後々何度も引っ張られる事にはなった。

2021年3月8日月曜日

サイズ

以前の二段ゴミ箱の時に使っていたゴミ袋のサイズは45l。ゴミ箱の容量に40lと書かれていたからである。
しかし買い換えの時に調べて分かったのだが、それは二段合計での容量であり一段辺りの容量は20lであった。
実に十年以上二倍近くの容量のゴミ袋を使い続けていた事になり、ゴミ箱を買い換えたのを機に適当なサイズにしようと25lのゴミ袋(今度のゴミ箱の一段辺りの容量は20l)を買ってみたのだが、余裕があまり無いのでゴミ箱へゴミ袋のセットがしにくいし取り出して最後に他のゴミと統合するという事もやりにくい。
結果的には余裕のある容量のゴミ袋の方が使いやすいなと買い替えてから感じる。

適当なサイズとはどのくらいであるのか。
個人の好みもあるし、使ってみないと分からない事もある。

2021年3月7日日曜日

ヘルプ作業

パッケージソフトのカスタマイズ開発の合間にちょこちょこヘルプ作業を経験している。
最初のヘルプ作業は既に炎上していた現場での支援要員で、作業としては大してできる事は無かったけれど後々考えてみればあれは要員を出すという事に意義があったのだろうな。

炎上とはいっても退社が21時過ぎ、土日はたまに出社した程度で後々の炎上現場と比較すればそこまででは無かったけれどそれまでの仕事が比較的順調だったのもあり、当時は非常に辛く感じたものだ。
以来、自社で聞く支援という言葉にはしばらく敏感になってしまった。

システム的に古いものでヘルプ作業で得た知識はあまり無かったけれど、他社の人と話して仲良くなれた事があったのは良かったな。

2021年3月6日土曜日

最初の仕事

東京の事業所配属後、最初の仕事はパッケージソフトのカスタマイズ開発であった。
言語はVB6と、既に時代遅れ気味であったがほぼプログラミング初心者の自分にとってはとっつきやすく基礎的な部分はここで学んだ。
後はデータベースがSQLSERVERでストアドを使っていたシステムだったのでVB6より汎用的であるDBの知識を得られた事は大きかったし、SQL自体が面白いなと感じられる機会を得た。

このパッケージソフトのカスタマイズ開発はしばらく続き、時にはパッケージソフト本体そのものの開発に関わる事もあったのでその頃はこの仕事がずっと続いていくんだろうなと思っていた。

2021年3月5日金曜日

格安

ここ最近は仕事で帰りが遅くなるので定時過ぎの休憩にパンを食べる。
調達するのは会社最寄りのコンビニの時もあるけれど帰り道に買い物でドンキへ寄った時はそこでパンを買って翌日持って行くようにしている。
以前は同じ事をするのにスーパーの見切りになったパンを買っていたけれど、ドンキだと多くの種類から品数豊富に選択する事ができるしそれでいて特売のパンだと見切りと同じかそれ以上に安い。

ドンキが出来てから帰り道に日配品やお菓子が安く買えるようになり、買い物が随分便利になったけれど仕事が忙しくなってきてこの利点には初めて気付いた。
利用できるものはどんどん利用していこう。

2021年3月4日木曜日

仕事を振り返る

ウマ娘のアプリばかりやっていたら結構な日数のエントリーが空いてしまったのでそこを使って過去にやってきた仕事の振り返りをしてみる。
そう言えばDDRの懐古エントリーは復帰すると共に止まってしまったのでそちらもその内再更新しても良いかもな。

初めに、就職活動は同期のゼミ生達と比較すると難航して内定が決まったのは四年生の五月末だった。
最終試験後、しばらく連絡が無かったので落ちたかなと感じていたしそれにより選考途中の企業も無くなるのでかなり絶望感があったけれど日が落ちたくらいの時間にある教室で受けた内定通知の電話は今もよく覚えているし飛び上がる程嬉しかった。

入社前に中野で家探しをしたり、駅前のビルで新入社員研修を受けたり、新生活が始まるんだなという事にワクワクしていた。

2021年3月3日水曜日

午前休

有給の妻に合わせて午前休を取り、小竹向原~江古田を散歩してお茶と食事をした。
小竹向原は子供が生まれてからではの視点で散歩し、まちのパーラーはちょうど併設されている保育園児達の様子が見える席に座れて創作活動をしている姿が間近で見られて、きっと自分達の子供もあんな風に楽しく過ごしているんだろうなと想像した。

江古田はコロナ禍の影響で多くのお店が閉まってないかと心配したけれど大半の、特に自分達に馴染みのあるお店はどこも健在で一安心。
大規模なチェーン店ではなく個人店中心の町だから給付金のお陰で何とかなっているのだろうか、何にせよ良かった。

後は以前はよく行っていた酒屋さんへ行って、ここでないと中々入手できないお酒が買えた。(午後からは出社するので妻が持ち帰り)
住んでいる所の酒屋も良い品揃えだけれどお酒はお店毎にラインナップがガラリと変わるから見ていて楽しい。開けて飲むのが楽しみだ。

時間は短かったけれど、充実した時間を過ごせて良いリフレッシュになった。来週も妻は休むし同じ感じでまた午前休しようかな。

2021年3月2日火曜日

陽気に誘われて

ポツポツと暖かい日が増えてきて段々と春が近付いて来たのを感じる。
平時かつ子供がいなかった頃であればこれくらいから旅行へ行くことが多い。越生、南房総などは外歩き中心ながらさほど寒くもなく楽しく見て回れた良い思い出が残っている。

緊急自体宣言が解除されたからといって一気に遠出をするようなつもりはないけれど、あまり遠くない範囲で無理なく出掛けるのも楽しめればなと思う。
この前、書店で近郊のガイドブックを二冊ほど買ってきたし良いお出かけスポットを見つけたい。

2021年3月1日月曜日

レジャーシート

朝の買い出し後に少し離れた公園へ遊びに行くことにしたけれど、時間的に遊んでから外食は忙しないという事で通り道にあるパン屋さんでパンを買って公園でレジャーシートを敷いて食べる事にした。
以前、オープンテラス席で食べた時は子供がすぐに椅子から立ち上がってしまい食べる事に集中してくれなくて困ったのでどうなるかなーと思ったけれど、芝生の上に敷くレジャーシートはそこから出ると足に触れる芝の感触が不快なのか終始大人しく食べてくれたので良かった。

これから暖かくなってくるし活用できる機会も増えるかな。
食べる物を持って行けばいつでも待ち無く気兼ねなく食べられるので楽ちんだし、天気の良い日に外で食べるご飯は気持ち良いので活用したいものである。