2019年3月20日水曜日

EDIT

高校に進学してからかそれともその少し前からか、駅前にあるゲームセンターのフリーダムへ僕もちょこちょこ通うようになっていった。
駅前というロケーションもあってかMTG仲間と会ったり、あるいはゲーセンで兄経由で話す友達もできたりして次第にその環境にのめり込んでいったのを覚えている。
DDRは入口のすぐ側のかなり目立つ場所に設置されていたけれど、友達や兄も一緒にプレイする事が多くて特に気にはならなかった。

この頃になると通っていたお陰で上達もしてきて、公式にある一通りの曲や譜面はクリアできるようになっていた。(しかしESP アフロなんかは序盤スライドでごり押ししていたので踏み方はまだまだ未熟だった。)
そのため次にやり始めた事は筐体に登録されているEDITや友達が作ったEDITをクリアする事だった。
なお、ハイスコアを目指そうという考えは全く無かった。まずスコアが何なのかすら理解していなかったからである。
周りもスコアを意識して踏んでいる人は殆ど居なかったと思う。

当時踏んだEDITは8分敷き詰めの物が多く、速くてもBPM200ほどなので公式の最高難易度に毛が生えた程度の差しか無いけれどそれでも難しいと言われるEDITをクリアする事がゲーセン内や仲間内でのステータスのような雰囲気があったのでそれらのクリアを目指す事が楽しかった。
後期は陰を潜めたけれど、自分が本質的にクリアラーだなと感じるのはこの頃の 体験とクリアを目指す楽しさをよく覚えているからかもしれない。

それにしても16分を多用した当時であれば地雷と言われるようなEDITを殆どやった記憶が無い辺り、周りには恵まれていたのだろうな。