以前お店の前を通った時は行列が凄くて待ちを確認する事もせずに諦めたけれど今回は開店アタックをしてみた所、同時入店のお客さんは多かったものの席数もかなり多いため第一陣で入る事ができた。
鰻は小さい頃から好きなのでもうちょっと優しい価格になると嬉しいのだけれど、近年値上がりが続いている事を考えると期待できそうに無い。残念である。
最近夜中に泣く子供を抱いてあやしても中々収まらない事が出てきてどうしたものかと思っていたけれど、どうやら寝室を真っ暗にしているのが原因のようだ。
それに気付いたのは泣き止むまで長くなりそうだからと一旦子供を置いて廊下からすぐ近くのトイレの電気を付けた時、それまで激しく泣いていた子供がピタリと泣くのを止めてこちらの顔を見ては笑顔を浮かべた。
ああ、真っ暗な中で僕は子供にとっては知らない誰かだったのかもしれない。
明かりによってこちらの顔を視認出来るようになり親だと分かって安心したのだろう。
これまでは真っ暗な中でも抱いてあやせば大体は落ち着いてくれたし、こちらの存在を感じては寄ってきていた。
それが成長に伴い、あやしてくれる誰かからあやしてくれる親を求めるようになったため、暗い中顔が見えない相手に抱かれていては落ち着かないしこちらへ寄って来なくもなってきたように思える。その証拠に明かりが点いている状態では、笑顔でこちらへと寄ってくる。
泣いている時の対策が分かったのも良かったけれど、それ以上に子供に求められているんだなと感じられて嬉しかった。
少し前に「すべての人類を破壊する。それらは再生できない。」というMTGを題材にした漫画が連載されている事を知り発売されたばかりの単行本を購入した。
それが面白かったのでつい先日発売された続刊も早速購入、あっという間に読み終えてしまった。
この作品は、MTGの漫画として見てもよく書かれているなと思うけれどそれ以上にその時代やMTGを通して過ごした僕の青春時代そのものが描かれており読んでいてとても懐かしい気持ちになる。(ヒロインの存在は除く。)
僕や多くの仲間がMTGに熱中していた1900年代末というのも大きなポイント。
新エキスパションが出てブースターを開封する時のワクワク感、お店や大会を通して生まれていく人との繋がり、大人達に連れて行ってもらって行く遠征、そしてそこで起こる身内同士での対戦
等々。多くのMTGプレイヤーが体験して今も懐かしい思い出として残っているそれらを作品に起こすのが上手だなーと読んでいて感心してしまう。
このペースだと年末くらいに次巻が出るのかな、今から発売が待ち遠しい。
職場に新しく配属された人の歓迎会があって、食事の際に野菜全般が嫌いという話を聞いた。
それを聞いて口には出さなかったけれど内心「えっ。」と思った。
成人しているのにも関わらず野菜が嫌いなんて、と感じたのである。
しかし考えてみればアレルギーのような体質的に無理なケースを除き、肉が嫌いな人も居れば魚が嫌いな人だって居る。
酔う要素があるアルコールをこの話に加えるのは強引かもしれないけれど、アルコールが嫌いで飲みたくないという話を聞いた時、僕は無理に飲ませようとはしないし特に気にも留めない。肉や魚だってそうだ。(アルコールはコーヒーに置き換えても良い。)
それなのに野菜については成人しているなら当然食べられる物という認識が自分の中にあってそれを口には出さずとも相手に押し付けていたんだと感じ、肉や魚にアルコールとの一貫性の無さに対して嫌気がした。
Twitterでフォロワーが気仙沼市の大島へ行った画像をアップしていた。
緑の多い茂る島々と青い海のコントラストが大変美しく、さすがは国立公園である。
気仙沼は日本全国へ旅行をし始めた頃、母に行って良かった旅行先を聞いて名前が上がった場所(巨釜半造)なので親しみがある。
2013年夏の東北旅行に組み込む事も考えてみたけれど結局ルートから外れてしまったので行けず終い。
日本全国、都道府県単位で言えば一通りは回ったと言えどこんな風に未踏で心残りとなっている場所も沢山ある。
子供が大きくなって遠出の旅行も行けるようになった頃、目的地にするのは一度行ってとても良かった場所かそれとも行きたいと思っていた未踏の場所かどちらになるんだろう。
どちらもどちらの魅力があって選び難い。
今年のGWに半年振りくらいにDDRをして、その時初めて金筐体に触れその後にも一度だけ踏みに行ったけれど大きくなった画面での見え方やパネルの感触に「この筐体で皆よくスコアが出せるな。」と思っていたのだけれど、昨日いつも踏んでいる白が混んでいたのでダメ元で更に混んでいる事の多い金へ移動したら幸いにも待ち無しだったので数ヶ月振りに金筐体でDDRをした。
初めは金筐体でしか踏めないレジェンド楽曲の中難易度曲をいくつかやって見え方は違うとなっても意外といけるとなり、踏み慣れた高難易度で足慣らししてからこれまた金筐体でしか踏めないレジェンド楽曲の高難易度曲であるカートゥーンのEDPを数回踏んでみたらあっさり95以上を達成でき、実は金でも踏めるのではと白で踏んでいるような更なる高難易度曲を踏んでみた所大体の曲でスコアを更新できた。
あと時踏んで感じた違和感はDDRから遠ざかっていたせいだったのか、それとも何らかの判定アプデが入ったのか。
踏めるようになった理由はさておき、金でも普通に踏めるようになった事は嬉しい。
白より混んでいる事が多いので最初に行くのは白だろうけど、白が混んでいたら金も覗いてみる事にしよう。
昨年末くらいから始めた英語アプリでの学習は今も続いている。
メキメキ英語力が身に付いたとは言えないけれど、単語だけでなく文での英語を読む力が少しは付いてきたような気がするのでステップアップしてみようとたまたま見つけたニュージーランド絡みのTwitterアカウントをいくつかフォローしてみた。
これにより時々英文のみのツイートがタイムラインに表示され読んでみようとなっている。
翻訳も無いしどこまで合っているかは不明だけれど画像付きのツイートも多いのでそこから雰囲気を感じ取って何となくこんな事を書いてあるのかな。くらいは理解出来るようになった気がする。
Twitterにはこんな使い方もあるね。
CDP 300XやCDP FIRE HAWKで925近いスコアが出たので今の地力ならCDP ハデスも楽にクリアできるのではと3回挑んだもののいずれもラス滝落ち、一番進んだ時でもまだ30歩以上残っていた。
しかしスコアはいずれの回も昔クリアした時より高かったのでmixiで当時のリザルトを掘り返して比較してみたところ、クリアした時のスコアは69万でミス数は58だった。(今回は76万50ミスの時点で落ち)システムの変更もあって単純に比較はできないものの最大コンボ数が50近くと今回の200に比べて大幅に小さい事を思うと道中は今の方が上手く、ラス滝は昔の方が上手いのだろうか。
いずれもゲージが尽きるまで諦めずに踏み切ってはいたけれど、昔のような「格別に難しいこの曲を何としてもクリアしてやる!」という気概が不足しているのかもしれない。
今もCDP ハデスは難曲ではあるけれど、もう数ある難曲の内の一曲でしかないもんな。
DP Lv.18はまだまだ未着手のものが沢山あるし、それらを攻略していく内にCDP ハデスもすんなりクリアできるようになるだろうか。
9連休もあったはずの夏期休暇もあっと言う間に終了。
妻と子が帰省したり、自分が帰省したり、親が来たりと割と予定が詰まっていて殆どがのんびりで終わったGWと比較するとアクティブな連休だった。
子供は泊まりにチャイルドシートに掴まり立ちに散髪にと連休中に初めての経験を沢山した。
進みが遅めだった離乳食も僕から見れば随分と積極的に食べるようになり良かったなーと思う。
より成長した年始休暇ではどんな経験をするだろうか、もう歩くようになっているのかな。多少は話すようになっているのかな。
仰向け状態で過ごしてばかりだったGWと比較して目覚ましい変化があった今回の夏期休暇、年始休暇ではそれ以上の変化を見せてくれるかもしれない。楽しみである。
結構前から常磐線特急は自由席が無くなり全席指定制となった。
大体は事前に座席指定をして乗るのでこのシステム変更によるメリットもデメリットも感じていなかったのだけれど、今回水戸から先の指定が満席となっていた事でデメリットを強く感じた。
元々のシステムであったのならば例え指定席が満席であってもいわきは利用者数がさほど多くは無い水戸以北なので、始発であるいわき駅からであれば自由席で座って終点まで行く事が出来たはずだ。
それが出来ず、水戸までなら座席指定は出来はしたものの僕が乗るのは終点までなので窓口が混んでいた事もあり途中区間までの指定もせず(そもそもこれが出来るかも不明)にそのまま乗車した所、進む度に変化する頭上のランプを気にしての乗車となり落ち着かない。
座っていても立っていても同じ料金なのだから、出来る限り座って行きたい。
やはり早い時期に全区間で座席指定しておくのが一番だな。
移動中、JRのポスターで新しい観光列車が紹介されているのを見つけた。
初めて目にする列車で、その情報を知るのが駅のポスターという事に自分の関心の移ろいを感じる。
これまではJRのプレスリリースといえば毎週欠かさずチェックし、新しい観光列車の情報等については早い段階で仕入れていた。
それを組み込んだ旅行計画を立てるのが好きだったので自然と調べていたのである。
それが子供が生まれて遠出が難しくなってからというもの、プレスリリースもフリー切符の情報も殆ど調べなくなり、今回のようにプレスリリースでの発表からしばらく経ってから駅のポスターで初めて存在を知るという事になった。
少し前に子供と二人きりでほぼ一日自宅にて過ごした時も感じたけれど、ほんの数年前の事なのに一人気ままに日本の各地を旅行していた自分が居たというの自分の事なのに信じられない。
子供が大きくなり遠出の旅行が可能になってきた頃、また能動的に情報収集するようになるのだろうか。
社員が家族を職場へ招待し、子供と共にイベントへ参加したり自分の職場を見せるファミリーデーという企画が催された。
僕はこの職場の社員では無いから対象では無いし、仮に対象でも子供が小さすぎて現段階での参加は見送るかもしれないけど良いイベントだよなと毎年開催されているのを見ていて思う。
僕も妻が仕事をしている姿は気になるし、妻もまた然り。なのでこういうイベントがあればそれが見られる良い機会。
実際の所、子供がある程度大きい場合は遊び回ってしまい落ち着いて仕事の様子を見るなんて事はできないみたいだけど、それでも職場の雰囲気を感じる事はできる。
自社や妻の会社でも導入されないかな。
近所に賑わっている商店街があるのだけれど、閉店する店舗もよく見かければ開店する店舗もよく見かける。
閉店からすぐさま次の店舗が開店するなんていうのも割とあるパターンなくらい、建て替わりが激しい。
その商店街だけでなく、一本裏に入った所や駅前でも建て替えの工事をしている光景はよく見る。
馴染みのお店が閉店してしまうと寂しさを覚えるけれど、すぐに新しいお店が出来てくれるのでまた賑わいが生まれる。
以前住んでいた所はこのように建て替わりが盛んな場所は無かったので変化が絶えず、見ていて面白い。
まだ引っ越してから一年も経っていないけれどその間にもいくつもの建て替わりを見てきたので5年、10年と住んでいく間に街の姿はどう変わっていくのだろうか。
年に1回くらいコンタクトの左右が分からなくなる事があり、そのまま使い続けるのも心配なのでその場合は行きつけの眼科にて左右確認をしてもらっていた。
しかしそれは引っ越し前に通っていた眼科なので現住所からはやや距離があり、このくらいの事だし近所で済ませられないかなと近場の眼科やコンタクトレンズ店を尋ねてみたけれど「こちらで購入された物で無ければ対応できません。」と断られるのが大半で、中には対応してもらえる眼科もあったのだけれど初診扱いになるから受診が必須となるらしく、待っている人数を見てこれなら離れてはいても通勤経路の途中で降りて寄れば良いかと、結局今回も行き着けの眼科で対応してもらった。
左右確認の実績があるし平日夜でも対応してもらえるし、スタッフの数も多いので確認作業にもそれほど時間が掛からない。
降りたついでで久し振りにFOUNDRYのケーキも購入できたし、また左右確認する時はここに来よう。
多少離れていても以前からの所が一番という場合もあるよね。
昨日は日中に僕が子供を見ていたのと夜になって子供と先に眠るのが妻だったので、翌日は仕事だけれど、攻めの姿勢で20時過ぎからDDRをしに行った。
遊びたいのもあったし、踏んでみて翌日の育児(早朝対応)と仕事に耐えられるかというのを試してみたかった。
今まさに通勤している最中だけれど、とりあえずは大丈夫そうな感じはする。座って通勤できるのは本当に大きい。
ただ、早朝の交替が4時半と普段から比較するとやや遅めだったのでより厳しいシチュエーションになった時は寝不足で辛いだろうなと感じる。
また、昨晩は直前まで運動をしていたせいか体が高ぶってしまい眠りにつくのにいつもより時間が掛かった。
やはり週二回踏みたい場合は金曜の夜と日曜の日中に行くのが無理しないで済むので最善か。
育児・仕事・遊び。どれも疎かにせず、バランスを取って楽しんでいけるようにしよう。
今の職場には憧れている人がいる。
MTGで大学でDDRで憧れる人には出会ってきたけれど仕事でここまで憧れる人というのは初めてじゃないだろうか。
論理的で視野が広く気が利いて、仕事は速くそれでいて親切。でも決して甘い訳では無く、引き締める所ではしっかり引き締める事ができる。
ほんと、仕事が出来る人っているんだなーと思い知らされる。
僕も人並みには評価されているとは思うけれどその人には到底敵わない。
話していると自分の至らなさを痛感し、卑下しそうになってしまうけれど比べるよりもその人の良い所を吸収しなきゃね。
今の所はもう随分長いとはいえ、異動の可能性は普通にある仕事。
勝手ながら師と仰がせていただいて少しでも近づけるように、いつか追い付けるように、今の内に沢山接しておこう。
英語アプリのニュースで、シリアで空爆を受け倒壊しかけた建物にて今にも地面へ落ちそうな赤ちゃんと瓦礫に押しつぶされながらもその子の服を掴んで懸命につなぎ止めようとする幼い少女、そして少し後ろで必死の形相にて何かを叫んでいる男性の姿を写した写真が掲載されていた。
それを見て、心が酷く痛んだ。
これまでもシリアの現状を伝えるニュースは聞いていたし、凄惨な写真も目にする事はあったと思う。
けれどもその頃は「大変だな。悲惨だな。」くらいの感想が出るだけでこのような痛みは覚えなかった。
それはきっと自分が子を持ち、たまらなく愛おしい存在である事を知ったから。
だから、自分の身を顧みず赤ちゃん(妹)を救おうとする少女(姉)の姿や手の届かない位置でおそらく自分の無力さを嘆く男性(父親)の姿に、彼女ら彼らの感情が写真からでも生々しく伝わり心が痛んだのだろう。
続報によると姉は死亡、妹は意識不明の重体。父親については忘れてしまったけれど、それを聞いてますます痛みは増した。
何かするわけでも出来るわけでも無いけれど、こんな痛みが伝わって来ない世界でありますように。
子を持つ楽しみが、沢山伝わって来る世界でありますように。