2017年10月5日木曜日

懐古

先日みつ邸にてEDITで遊んで以来、昔のDDRの思い出を人や自分のmixi日記やブログやツイートやらで振り返ってはとても楽しかったなーと感じている。

楽しかったのは間違い無かったと思う。しかし、美化されて振り返っているため実際より楽しさが増されているのではないだろうか。
そんな話を妻に振ってみたら「もう戻れないからこそ、そう感じてしまうんじゃない。」と言われた。

なるほと、確かにそうかも。
不可逆というキーワードが美化と結びついている可能性は高い。
後先考えずにDDRをしていた背景(一人暮らし、課せられた仕事の役割)、ロケーション(中野タイガープラザ、渋谷ナムコ)、共に過ごした仲間達(DDRから離れていった人、家庭や子供を持って離れざるをえなくなった人)、そういう不可逆要素のある思い出こそ美しく、尊く感じてしまう。
    
今の時点で近所のゲーセンにて踏んだ記憶はまだ懐古するまでの思い出とはなっていない。しかしこれが近所のゲーセンからDDRが撤去される、もしかしたら妻が身ごもる、ひろさんが引っ越すなどして不可逆となる要素が生まれた時、今作り出されている思い出は先に述べた思い出のような美しさや尊さを持つようになるのではないだろうか。
でもそれは思い出としては今でもそうなった未来でも同じもの。
だからそうなる前の今から楽しかった事には真っ正面から向き合って、一緒に思い出を作った人々に感謝を述べたい。

未来の懐古は、後からでもできる。
今の感謝は、今にしかできない。